ついに2人目、と喜んでいたらまさかの双子!
上の子が4才になり、そろそろ2人目を考えようかと夫婦で話し合い妊活を開始しました。幸せなことに、妊活3か月目にして妊娠発覚。産婦人科で胎嚢の写真を見て夫婦ともに喜びました。上の子の出産の時に常位胎盤早期剥離になった私は、個人の産婦人科から国立の病院へ紹介されることが決まっていました。その個人の産婦人科で最後の妊婦健診での内診時、先生が急に「あらっ!」と声を上げ、何事??と思ったら、「2人って言ったかな??」と。驚きで「いや…」としか言葉が出なかったです。待合室で頂いた写真を見ていて、胎嚢に2人が写っていることへの不思議な感覚や、これからどうなるんだろうという不安で押しつぶされそうだったのを覚えています。もちろん出産を終え育児中の現在は、双子が私達の元へ来てくれたことをとても喜んでいます。
気持ち悪い、食べれない…壮絶な悪阻
妊娠2ヶ月頃から悪阻が始まりました。上の子の時も悪阻はあったので覚悟はしていましたが、今回は比じゃなかったです。最初は気持ち悪いな~くらいでしたが、日が経つにつれ嘔吐するようになりました。毎日、かなりの回数トイレに駆け込んでいました。食事はその時によって、おかゆであったりゼリーであったりと、その時に食べれるものを少量口にしていました。昨日はゼリーはよかったのに今日はダメ、みたいなことはしょっちゅうでした。体重は10キロ程落ちました。なにより気持ち悪さで動けません。私のあまりの姿に家事は旦那さんがほとんどしてくれました。上の子の時も私が動かなくていいようにと、自分でできることを考えて行動してくれていました。この間仕事はお休みさせてもらいました。この悪阻を乗り越えることができたのは家族や職場の協力あってのことだったと本当に感謝しています。
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双子妊娠特有の双胎間輸血症候群に。上の子を置いての入院
双胎間輸血症候群ってご存じですか?なかなか聞きなれない言葉ですよね。私も双子を妊娠して初めて知りました。簡単に言うと、双子は胎盤を共有し胎盤において2人の間に血管の繋がりがあるのですが、その血管の血流に異常が発生し、ひとりは血液量増加、もうひとりは血液量が低下することで様々なトラブルが発生し最悪胎児死亡に至るものです。そのため国内で数病院でしか行っていない手術が必要となり、私は緊急入院となりました。手術は無事終了し、双子に懸念された後遺症も認められず、無事にみんなで帰ることができました。この入院中、心配だったのは上の子のことでした。今まで、1日以上離れたことなんてありませんでした。きっと泣くだろうな、とか、私がいなくてちゃんと眠れるかな、とか不安だらけでした。ところが、不安とは正反対にとっても強いおねえちゃんの姿がそこにはありました。泣くどころか、毎日自分で保育園の荷物を準備して、ちゃんと決めた時間に寝て…。旦那さんから電話でその話を聞いたときに、嬉しさと同時に少しだけですが、私の手を離れていくんだなという寂しさも感じました。でもこのおねえちゃんの頑張りは、手術に向かう私への大きな力となりました。子どもは環境に適応してちゃんと成長していく、そんなことを実感したエピソードでした。
緊急帝王切開を乗り越え、双子ちゃんはじめまして
双胎間輸血症候群治療の帰宅から1ヶ月ほどは自宅安静をしていましたが、妊娠25週で子宮頸管長が15ミリほどになりまたまた入院となりました。ここからは出産まで病院生活です。なんとか魔の28週を乗り越えましたが、29週2日で破水があり、いったん経過観察となりましたが、先生の判断で翌日緊急帝王切開となりました。朝に「今日出します」と言われそこからは目まぐるしく状況が変わりました。手術が開始され、ものの5分程でひとり目が誕生!そして1分後にはふたり目が誕生!あっという間の出来事でしたが、ふたりとの対面は、言葉にならない喜びや嬉しさや、みんなへの感謝やらで号泣でした。現在双子はもうすぐ2才です。今のところ特に問題もなくとても元気に成長しています。ドタバタな妊娠出産でしたが、家族の大切さ、医療機関のみなさんへの感謝、なりより頑張って誕生してくれたふたりの命の尊さ、いろんなことを考え教えてくれた出来事となりました。(佐賀県在住I様の体験談)
※この記事は個人の体験談です。
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