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見知らぬ土地で仕事をしながら子育てが出来たのはママ友のおかげ?!

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5年前胃癌を摘出し、妊娠中は入院生活に

子供に恵まれず、結婚して10年たったころ赤ちゃんを授かりました。嬉しかった半面、私は5年前に胃癌を摘出し体力がかなり落ちたままでした。体力がなく、妊娠中も病院で点滴につながれて過ごし、帝王切開に。人並みに育児をした覚えもありますが、育児に疲れ、赤ちゃんが寝ているときは一緒に寝ていた記憶があります。主人の転勤で、友達も親戚もまわりにいないので、一人で生体のわからない生き物をよく育てたなと今になって自負しております。また、赤ちゃんと一緒に一日寝ていたなんて、自堕落さもおかしく今となっては懐かしい思い出でです。この頃の心の支えは、入院中に仲良くなった同じ病室のママと赤ちゃんの様子などをメールでやり取りをしたことです。入院して結果的に良かったと思いました。妊娠7か月からずっと入院だったので、病室の妊婦仲間と話し楽しい妊娠ライフを送ることができたのです。

知り合いのいない土地で仕事を始めることの大変さ

さて、子供ができたのが38歳の時です。当時の私は、仕事を早めに始めようと焦っていました。世間的に40歳を過ぎると社会復帰が難しくなりますし、家にいる時間が増えると、仕事ができる体力や気力がなくなってしまいそうで怖かったのです。また、子育てを思いっきり楽しもうとも思っていました。皆さん、”ママブラス“ってご存じですか?学生時代にブラスバンドに所属していました。ママになって子供と一緒に参加できるブラスバンドがそのころ誕生していたころでした。ママブラスに子供ができたら入りたいと夢を描いていたので、妊婦のころから参加しました。ただ、体が弱くてほとんど参加ができないまま入院、出産でした。そこでもたくさんのママ友との交流がありました。そこで出会った方が、後に預かり保育を経営なさっていて子供をみてくれることとなり、大変助かったことを覚えています。ほんとにいろいろな方との偶然の出会いがあり今にいたっています。子供が1歳8か月の頃より単発の仕事を始めたのですが、保育園では単発の仕事では預かってくれませんでした。子供の月齢が低いほど預け先が見つけづらく、仕事の日程が急に決まった時はひやひやものでした。預け先が決まっていることで安心して働くことができました。

地方だからと、保育園事情を認識していなかった私の甘さ

子供が2歳になったころから、週3日のパート勤務を探しました。実家が遠く子供の面倒を見てくれる環境がないことと私の年齢が微妙に高齢なこともあって仕事先を決めるのに難航しました。やっと決まって、保育園を申し込みに市役所へ行きました。ところが皆さん想像できると思います。週3日では預かってもらえないとのことでした。ここは地方で、東京などの大都会ではないので、すぐ保育園が見つかると思っていたんです。焦りました。仕事先の勤務はもう決まっているのに、子供の預け先がない。そのころ、子育ても楽しむがモットーの私は育児ボランティアをしていました。ある子育てサークルのイベントに参加した時にスタッフにならないかと声をかけられたのです。イベント側の方が、私が子供と一緒にはじけて音楽に合わせて踊っていたのを見て、きっと保育関係に携わっていた人だと思ったそうです。その通りです。過去に幼稚園教諭をしていたことがありました。そこで知り合ったママ友に今度は助けてもらうことになりました。市で募集している子供のお助け隊になっていただき、その方の自宅で見ていただき、仕事が終わったら迎えに行くことがしばらく続きました。市で経営しているシステムなので、間接的に金銭のやり取りが発生します。お互いに関係性が保ちやすい良い面がありました。本当にお世話になりました。同学年の異性のお子さんがいらっしゃって、時には喧嘩もしていました。おもちゃの片付けをきちんとしないこともありました。頭を何度下げたかわかりませんが、気持ちよく預かっていただき、子供も健全に育ちました。
 

仕事で手が足りないけれど、スポーツもやらせてあげたい。

土曜日が出勤。ここれが私の仕事の決まって崩せないところです。サッカーのスポーツ少年団に子供が入りたいと小学3年生の時に言ってきました。お友達に〇〇君は足が速いから是非うちのサッカーチームに入ってくれない?と言われた。と喜んで帰ってきたのです。サッカーのスポーツ少年団は、低学年の頃は学校の校庭で練習が多いので自分で通えますが、年齢が上がると遠いサッカー場へ当番制で車を出し、子供を乗せて連れていきます。クラブチームとは違い、いろんな役があり、仕事のように働いている方もいらっしゃいます。チームの保護者との付き合いをやっていけるかも心配でした。(私は文化部でしたので、運動部の体育会系の集まりなのかしら?と心配していました。)しかし、子供がキラキラした目で話していると断れず、成り行きで入ってしまいました。主人を説得して何とか、土曜日の当番をこなしていましたが、子供が4年生になると今度は主人が海外へ転勤に。チームの保護者は、ほとんどママさんで動いていましたが、土曜日の当番を免除してもらうことになりました。そして代わりに日曜日に当番をすることになりました。5年生になると選抜で夜の練習に参加できるようになり、送迎が出来ないので諦めようかと思ったのですが、チームのママ友と配車をやりくりして、何とか参加できました。子供の成長とともに、いろんなママ友と仲良くなり、お互いに助けあって子育てができて本当にに有難かったです。ママ友とは今でもLINEをしたり、情報交換をしています。正直なところ、ママ友の交流は煩わしいのかなと思っていました。しかし、知り合いのいない土地で、こんなに人生を謳歌できているのは紛れもなくママ友のおかげです。本当にたくさんの人にお世話になり、そしてこれからも交流が続くことを楽しみにしています。(群馬県在住50代M様の体験談)

※この記事は個人の体験談です。

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