一人目は自然妊娠、二人目がなかな出来ない…
現在、7歳の長女と2歳の次女の娘がいます。長女は、結婚2年目でそろそろ子供をと思った矢先にすぐに自然妊娠で授かりました。ですが、2人目になかなか恵まれませんでした。1人目をすぐに授かったので、自分がまさか不妊とは思いませんでした。長女が2歳になる頃には、児童館に行く度に兄弟のいるママ達の姿をよく見るようになりました。最初はなんとも思っていませんでしたが、毎月生理が来る度に他人の妊娠を素直に喜べませんでした。何かを言われたりした訳でもないのに、よく落ち込む自分がいました。そんな自分も嫌でしたが、何が正しいのかも分かりませんでした。
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クリニックに通院して一年で無事妊娠することに
二人目の妊活を始めてから1年半程経った頃に、不妊治療のクリニックへ行こうと決心しました。不妊治療には、最初抵抗もありましたが、多くの人が通院していてよくある話だなとその状況にも慣れました。治療を始め、丸1年経った頃に二人目を授かることができました。治療して1年というのは早いと言われることがありましたが、早めの決断をして治療のステージを次々に上げて進めていました。費用的にも精神的にもこれが最後かなと思っていたタイミングで妊娠した時は、嬉しかったです。そして、クリニックを卒業した時はもっと嬉しかったのを覚えています。つわりは一人目の時も比較的軽い方でした。無事に妊娠後期まで問題なく過ごせました。
予想もしてなかった救急車でのお産
病院にて自然分娩で産むはずが、二人目は予想もしてなかった救急車でのお産でした。救急車に運ばれてからは、5分以内で産まれたと思います。私が陣痛を感じたのは予定日より2日前の夕飯を済ませた頃でした。遠方から母に来てもらっていたので、来てもらえている時に産みたいという気持ちもあり、陣痛が来て少しホッとしました。22時頃に陣痛が強くなり、病院に行きました。「まだ早いですね」と病院から2度追い返されました。2回目は自宅に着いたのが夜中の3時頃でした。流石に3回目はもう追い返されたくないという思いもあり、「長女が幼稚園に行くのを見送って病院に行こう」と自分の中で決めました。ですが、朝7時頃に「もうダメだ」と感じ、病院に行こうと車をまわしてきてもらおうとした時、自宅内で倒れ込みました。「ああ…長女も既に起きているのに、こんな姿を見せて余計に心配させてしまっているな…」と思いました。しかしそんな余裕もなく「もう産まれる」という感覚がありました。母に下から抑えてもらい、なんとか耐えました。もう、車で連れて行ってもらっても、車の中で産んでしまうと咄嗟に感じて夫に救急車を呼んでもらい、自宅から救急車に運ばれました。救急車に乗ると安心したのか、そこで破水が起こり、我慢していたものがプツッと切れ、息んでしまい出産しました…。ホッと安心しましたが、産声も聞こえないし、安心の次は心配が押し寄せてきました。救急隊の方が取り上げてくださり、臍の緒が首に絡んでいた為に処置をしてくださり、産声も聞くことができました。救急隊の方が、「もう大丈夫ですよ。今から病院に行きましょう。」と仰ってくださりやっと安心しました。ですが、病院ではないところで産んだ罪悪感と不安な気持ちがありました。病院に着くと迎え入れて下さった看護部長の方が、「おめでとうございます!」と第一声をかけられ、朦朧としていましたが、イラっとしたのを今でも覚えています。なんという不謹慎だろう、何度も追い返されたのに、こんな結果になって訴えようかと思いました。ただ、次女がとりあえず元気に生まれてきてくれて、救急隊や病院関係者、周りの人に助けられ、感謝の方が大きかったのでぐっと我慢しました。そんな予想外のお産から2年経ち、次女は大きな病気や怪我もなく育っています。
出産は誰でも何が起こるか分からない
経産婦さんは、【陣痛が始まってから出産までの時間が早い】と病院でも健診の際に言われていました。例えば、風船を膨らますと初めより2回目は簡単に風船が広がる(膨らむ)のと一緒なんですと説明されたことがあります。出産は、誰でも想定外の事が起きます。病院に受け入れてもらうまでは、心をしっかりと持って挑み、最後は【自分の判断を信じて、行動を起こす】事が大事です。身体のことは本人にしか分からないので。私もいろんな備えをしましたが、結局想定外のことが起きてしましました。ただ、自分の咄嗟の判断だけは正しかったと思えます。救急車を呼ぶ事も必要であれば、的確な判断をし周りの人に助けてもらう事も大事だと思います。(東京都在住40歳Y様の体験談)
※この記事は個人の体験談です。
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